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皇居東御苑
2013-05-04 Sat 20:56
「皇居東御苑」のレポート。

皇居東御苑は,旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部を宮殿の造営にあわせて皇居附属庭園として整備されたもの。
1968年(昭和43年)から公開されている。

皇居東御苑-天守閣跡
江戸城天守跡の「天守台」。

江戸城の天守閣は明暦の大火 (1657年) で焼失してしまい、その後再建されることはなかった。
そして現在は、八代将軍吉宗によって再建された天守台だけが残っている。

皇居東御苑-天守閣跡
天守台からの眺め。
オフィス街が一望できる。

皇居東御苑-天守閣跡
天守台上から眺めた「本丸跡」。
現在は芝生の広場になり、訪れた人の憩いの場となっている。
本丸そのものは文久三年(1863年)の大火 で焼失してしまい、その後再建はされなかった。

皇居東御苑-石室
「石室」。
火災や地震などの非常時に備えて、調度品などを納めていたと言われる場所。

皇居東御苑-松の大廊下跡
「松之大廊下跡」。
江戸城内にあった大廊下のひとつ。
本丸御殿の大広間から将軍との対面所である白書院に至る全長約50m、幅4mほどの畳敷の廊下。
廊下に沿った襖に松と千鳥の絵が描かれていたことから松之大廊下と称された。

元禄14年(1701年)3月14日午前10時頃、赤穂藩主で勅使饗応役であった浅野長矩がこの廊下で高家肝煎の吉良義央に斬りつけた事件で一般的にも有名である。

今は跡形もなく、石碑が建てられているのみ。
立ち止まって眺めていると、「殿中でござる」の声が聞こえてきそうな感じ。

皇居東御苑-諏訪の茶屋
元々は江戸時代に造られた「諏訪の茶屋」。
現在のものは、その後明治45年(1912年)に再建されたもの。

皇居東御苑-百人番所
約50mもある長い建物は「百人番所」。

江戸城のいわゆる検問所で、甲賀組・伊賀組・根来組・廿五騎組が昼夜守衛にあたっていた。
ここでは、一組に常に100人の同心が配属されたため、百人番所と名づけられた。
城の奥の番所ほど、位の上の役人が詰めていた。

皇居東御苑-同心番所
「百人番所」「大番所」とここ「同心番所」の3つが残っている。
ここには同心が詰め、大名の供の監視にあたっていた。

皇居東御苑-大手門
「大手門」。
江戸城の正式な登城門だった由緒ある場所。

皇居東御苑-巽櫓
「巽櫓(たつみやぐら)」。
正式には「桜田二重櫓」と呼ぶ。
手前のお濠は、「桔梗濠」。

皇居東御苑
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【所在地】東京都千代田区千代田1-1
【問い合わせ先】宮内庁 03-3213-1111
【アクセス】東京メトロ東西線 大手町駅・竹橋駅 徒歩5分

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